だってそれはあぶくだから。
水辺は気持ちいい。
たぶん、リアルに粒子を感じることができるから。
このとろこずっと1日と空間にも
たくさんの粒子がうごめいてるのを感じる。
それは過去も未来も
そして現在も混在したものとして。
時間や日付を区切ることは苦手だけど
おおまかにそれを一か月とした場合。
時折、その一か月のなかでふと閃くような
希望と出逢うことがある。
それは単純な「あ、こんなことしてみたい。」
という一瞬のときめきを孕んだ閃き。
でもその閃きが胸を軽くするのはほんの一瞬だったりする。
ほんとうに、ほんとうの、一瞬。
次の瞬間には、それを現実のなかに見失ってしまう。
でも、その一瞬がいつしか
一か月に数回になってたりすることにはっと気づく。
わたしは、それでいいように思える。
希望はあぶくのように生まれるものだ。
涙がでるほど、なにもないところから。
そして願いはきっと
その一瞬の希望をそっと掬うようなことだ。
それは水のなかで生まれたあぶくのような希望のそのぶぶんに
ふっと、空気を与えるように。
願いは、つよく欲するのことでも、掴むものでもない。
願いは、希望を、そっと掬うものだ。
願いは、希望を、そっと守るものだ。
生まれてきた希望というそのあぶくを眺めながら
そしてもうああ堪えきれないと言うときに
それをそっと、掬う。
そんな現実を生きてもいいとおもうのだ。
そんな願いを深い場所で守っていてもいいとおもうのだ。
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すっかり穢してしまった希望を
きょうはちょっとほどいてみたい日。